INTERVIEW

インタビュー

聞き手:パメラ・クーン(オペラ歌手)

―もともとはどこの出身ですか?

 

「ジョージアで生まれました。州ではなくて、国のほうの。でも生まれて数か月で両親とともにブタペストに引っ越しました。ですから、ハンガリーで育ちました。私の音楽的な教育もハンガリーで始まりました。それはとても特殊な種類の音楽教育でした。バルトーク、リゲティ、クルタークなどの素晴らしい音楽家の音楽とともに育ったといえるでしょう。もちろんリストの音楽に触れる機会もたくさんありましたが、リストについてはハンガリー以外でもよく演奏されていますよね。そのようなユニークな音楽環境は、私の芸術家としてのある一部…、ピアニストとしてよりもむしろ作曲家としての側面において大きな影響を与えてくれたと思います。

 

―どうして音楽に興味をもったのですか?ご両親も音楽家ですか?

 

「興味深いことに、父親は憲法学者、母親は社会科学者で、音楽家ではないのです。でも母は子供の頃にピアノを習っていて、私の音楽的な才能は間違いなく彼女から引き継いだものだといえるでしょう。」

 

―オペラのレコードに惹かれていたそうですね?

 

「はい、まだ赤ん坊だったころから、ヴェルディやワーグナーのオペラが大好きで、レコードプレイヤーから離れなかったそうです。7歳になって実際にピアノを弾き始める前から、音楽に対して非常に強い関心をもっていた子供でした。ビートルズ、AC/DCなどの音楽に取りつかれていたときもありました。子供ながらに、あまり保守的な嗜好ではなかったようです。でも7歳でピアノと出会ってから、興味の中心はクラシック音楽が占めるようになり、それは今でも変わっていません。もちろん特にジャズなど、他のジャンルの音楽も素晴らしいと思いますが、でも自分自身はクラシック音楽の世界に生きていると思います。友人の中にはジャズを演奏する人たちもたくさんいて彼らのことを尊敬していますが、私が演奏するのはクラシック音楽だけなので。」

 

―音楽が自分の人生だ、と気づいたのはいつですか?

 

「ピアノを習い始めてすぐ、ずっとこれをやって生きていきたいと気づきました。まだ7歳だったのですが、いろんな物事が急に動き出したのです。興味深いことに、高校を卒業して大学に入学する年齢になって、2つの選択しかありませんでした。音楽院に行くか、または大学にいって音楽と他の何かを2つ専攻するか、でした。それ以前に音楽以外のことをやるということについてほとんど考えたことがなかったため、音楽院に入学しました。しかし、その選択をしたことを、非常に後悔することになりました。というのも、自分がそれまでやっていたこと全てが、自分をよりよい音楽家にしてくれていたということに気が付いたのです。ただ座って何時間もピアノを練習し続けるということは、自分に何ももたらしませんでした。学部時代に最も役立ったことと言えば、必須科目であった哲学、美学、倫理の授業です。それらの授業を受けたことは、充実した経験だったといえるでしょう。ピアノに興味がなくなって他のことで気を紛らわせていた、ということではないのです。ピアノの練習以外での経験が、自分をよりよい音楽家にしてくれると分かったのです。それ以降、音楽以外の学びについては自分自身で選択していくことにしました。例えば本をたくさん読むことなどです。今でも様々な方法でその当時の遅れを取り戻そうと努力しています。コロンビア大学でいくつか授業を聴講しているのですが、最近では例えば「神経科学と仏教」という授業に大いに興味を掻き立てられました。

 

―それは、左脳が働くような活動なのでしょうか?右脳と左脳のバランスのため?

 

「そうですね、その通りです。作曲を始めたのはたった数年前なのですが、始めてみると、もっとずっと前からやっておけばよかったと思いました。子供のころは好き勝手に曲らしきものも書いていたのですが、10代になって止めてしまいました。でも、こうやって色々なことに広く興味を持って取り組んでいるほうが、結果的に自分がより良い音楽家、そしてよりよいピアニストになれると思うに至ったのです。」

 

―あなたの出身であるジョージアの民族音楽にも影響を受けたと伺いましたが。

 

「演奏家としてというよりは、作曲家として影響を受けたと思います。子供の頃からジョージアの民族音楽を聴いて育ちました。そして、これは決して愛国心などというものから言っているわけではないのですが、ジョージアの民族音楽は世界の音楽の中でももっとも不思議なもののひとつだと思っています。というのも、ジョージアの民族音楽は、西洋音楽とは全く違った方法で、しかも西ヨーロッパで調性が確立するよりも以前に調性和音に辿り着いた音楽だからです。興味深いことに、ジョージアの民族音楽には、楽器のために書かれた音楽があまり存在しません。ほとんどが歌曲でした。ということはつまり、平均律のチューニングシステムがあまり関係なかったのです。もちろん弦を半分にして、さらにその半分にすれば、倍音が発生します。でもジョージアの民族音楽には、完全なオクターブというものが存在しません。もっとも安定している重音は3度です。3度を二つ重ねると3和音になります。10世紀~11世紀には、ジョージアでは既に3和音からなる和声が存在していたのです。その当時西ヨーロッパではまだオルガヌムの時代であり、調性和声が確立されるのはもっとずっとあとになってからのことでした。もちろんそれらは全く異なったアプローチで調性和声へと辿り着きました。今は便宜的に“調性”という言葉を使っていますが、“三和音的”というほうがもっと正確な言い方かもしれませんね。ジョージアの民族音楽には他にも非常に興味深い点があります。ジョージアは山に囲まれた国です。ですから、地域同士のコミュニケーションが活発ではありませんでした。その結果、各地域で多様かつ個性的な音楽文化が発達したのです。また、ジョージアの民族音楽は非常に複雑です。ジョージアのポリフォニー音楽は、例えば4声のものもありますし、どの声部もお互いに完全に独立していながら複雑に絡み合うため、そこで生み出されるハーモニーには非常に驚かされます。また、そのような演奏を可能にする超絶的な歌唱技術にも大変びっくりさせられます。もちろんジョージアの民族音楽は既に私の人生の一部であったわけではありますが、自分が作曲をし始めるようになり、その影響は随所に入り込んでくるようになりました。さすがにジョージアの民族音楽を楽譜に書き起こすことまでは…少しはやってはみましたが、そのようにして取り入れることまではしないですが。特にポリフォニーと対位法の処理の仕方については、私自身が作曲する際のアプローチに大きな影響を与えてくれました。」

 

―大変興味深いですね。そのアイデアについては、あなたの作曲の先生であるジョン・コリリアーノ氏にも伝えましたか?

 

「もちろんです!実のところ、そのような技法を用いたヴァイオリンとピアノのためのソナタを作曲した際に、彼のレッスンも受けました。私がこれまで作曲した作品の中で、最もジョージア音楽に密接に関連している曲のひとつです。ですから、私が持っていったジョージア音楽を彼もたくさん聴くことになりました。彼は私というレンズを通して、ジョージア音楽を知ることになったのです。私が感じ、分析し、そこから何を引き出して自分の音楽に取り入れたか、ということを通してですね。」

 

―あなたは生まれてすぐにブタペストに引っ越したというのに、母国の要素がこれほどまでにあなたに根付いているというのはとても興味深いですね。

 

「ジョージア語は私の母語ですし、両親とはジョージア語で会話します。自分のことはジョージア人だと思っていますが…、だからといって国民意識が強いという訳でもないですが…。もし誰から『何人ですか?』と尋ねられれば、おそらくヨーロッパ系ニューヨーカーと答えるでしょう。それが一番自然に感じられます。とはいっても、やはり自分のことをジョージア人であるとも感じます。もしかしたら、音楽のせいかもしれません。私はジョージアの民族音楽や民族舞踊に大きな魅力を感じていますし、自分と自分が生まれた国との間に強い繋がりを感じさせてくれるものが音楽だからです。」

 

―エマニュエル・アックス氏とはいつどのようにして出会いましたか?

 

「彼とはティーンエイジャーの頃、ブタペストで出会いました。彼の前で演奏する機会があったときに『ジュリアードに来てみないか』と声をかけてもらいました。色々な事情により学部課程では行けませんでしたが、修士課程で入学しました。それ以来ずっとニューヨークを拠点にしています。」

 

―彼が声をかけてくれたとき、わくわくしましたか?

 

「はい、もちろんです!それ以前から彼のことは非常に尊敬していましたし、夢のような出来事でした。」

 

―作曲家として、ブラックホールやアインシュタインの「相対性理論」「重力理論」に影響を受けたと聞きました。どこからそのようなアイデアが湧いてきたのでしょうか?

 

「ニューヨーク市で開催されているチェルシー音楽祭から委嘱を受けたときです。ある年のテーマが『重力』でした。というのも、その年は『ニュートン力学』の論文の記念イヤーだったからです。それで、このテーマと関連している作品を作曲してほしいと依頼を受けたのです。そのときに、作曲するにあたって、できるだけ不自然だったり強制されたように聞こえないような方法を考えだすと同時に、この物理的なコンセプトを何かしら意味深い方法で音楽的なアイデアに変換したいと思いました。ひとつの参考となったのがリゲティです。というのも、彼はカオス理論など様々な数学的な概念に影響を受けていましたから。彼は『なんて頭のよい作曲家かしら!』と聴衆に思われるためではなく、より興味深くドラマティックな物語を作り出すためにそれらのコンセプトを用いました。例えばリゲティの作品には、冒頭は普通の状態で始まるものの、途中で“歯車”に何かが問題が発生し、そこから全てがコントロール不能になるような作曲技法がよく見られますが、それはカオス理論に影響を受けているといえるでしょう。それは、数学を音楽に変換することが目的ではなく、聴衆が思わず引き込まれるようなドラマティックな効果を生み出すためなのです。そうすることで、“新しい語り口”が生まれるのです。私も作曲においてそのようにしたいと思いました。例えば、大きな重力質量をもつ物体との距離によって生じる時間の変化にインスパイアされて、ある音楽のモチーフが舞台上で空間を移動するにつれてどのように変化するか、と考えました。ですから、ある考えや理論をどのようにして純粋に音楽的な効果に変換するかという点と、それらが言葉での補足説明なしに説得力をもった作品として成り立つかどうかという点について、いつも考えています。というのも、音楽作品はそれ自体として成立しなければならず、説得力をもたせるために言葉での説明を付け加えてはならないと思うからです。それが私の作曲においての目標です。」

 

―ビジュアル作品にもインスピレーションをうけたそうですね。映像作品にも作品を書いたと伺いました。映像作品に付随するものとして作曲する場合と、それ以外の場合と、違いはありますか?

 

「映像作品はとてもユニークだと思います。というのも既に完成した作品を受け取って、それに合わせて作曲しなければなりませんから。やり取りしながら作業を進めていくという他のコラボレーションの形式とは違います。もちろん映像作品でも、完成を待たずに一部の分だけ先に見せてもらってイメージを掴むことはあるかもしれませんが、いずれにせよ作曲を始める前にそれぞれの場面の尺を確認してから実際に作曲に取り掛かることになります。なので、ほぼ完成している作品を前にして、作曲家は自身のイメージをその作品世界に合わせなければなりません。それは他の作曲とは全く異なったアプローチです。そこで問題になるのが、自分の勝手なイメージを押し付けるのではなく、どのように既にそこにあるものを際立たせるか、ということです。目を閉じて自分が作曲した音楽だけを聴いてみて、映像作品に映し出されているイメージが自分の頭の中に浮かんでくるか?というような実験もしてみました。以前、素晴らしい画家 ファビエンヌ・ヴェルディエ氏による抽象的なショートフィルム “Walking Painting”(作品リンク)に曲を提供しました。彼女は素晴らしい画家で、重力に関係する興味深い絵画技法を発展させました。絵具の物質性を利用するものです。彼女は絵具を漏斗(じょうご)に入れ、遠くからキャンバスに落とします。絵具がキャンバスに落ちると、振動や火山のような形状が生み出されます。彼女は漏斗の傾きや方向などを調整するのですが、映像の中で絵具がキャンバスに落ちる瞬間と、それが作り出す美しい模様がスローモーションで映し出されます。それをどのように音楽に反映させるかと考えたときに、2つの方法がありました。1つ目は、映像で描かれているものを、できるだけ忠実に真似る方法。映像の分野では“ミッキーマウスのように”とも言いますが。よく、アニメの中で登場人物の動きに合わせて音がつけられますよね、あれです。あるいは、2つ目の方法、つまり少し映像から距離を置いて、映像の中で起こっていることを抽象的に表現する方法です。後者の方法のほうが、彼女の考えと合っているように思えました。その結果、映像の中で起こっていること、既に自分が見ているものをそのまま真似るのではなく、彼女が美術作品を作っているときの気持ちにできるだけ近い音楽を作ろうと思いました。映像において音楽が果たす役割というのは、物事をそのまま音楽に置き換えて描写することではなく、既に自分が見ている物事について新しい意味づけを加えることだと思います。」

 

―ホーネンスの優勝者として、これからレコーディングの予定はありますか?

 

「はい、まずホーネンスがコンクールの時の演奏をまとめたものをCDとして発表します。それからハイぺリオンとも録音の話が進んでいて、スケジュールやプログラムについて相談しているところです。とてもわくわくしています。」

 

―自作の作品も録音する予定ですか?

 

「そうですね、もしかしたらそうなるかもしれません。今は様々な可能性を模索しているところです。デビューCDとして最良のプログラムを練っているところです。カーネギーホールやウィグモアホール、コンツェルトハウス・ベルリンなどで予定されているリサイタルでは、コンポーザー=ピアニスト、ピアニスト=コンポーザーとしても知ってもらうために、自作の作品も披露するつもりです。」

 

―ピアノに作曲にお忙しい日々と思いますが、普段はどんな1日を送っているのですか?

 

「ピアノの練習は1日に4時間までにしています。少なくともピアノに向かっての練習という意味ですが。それ以上は、生産性が落ちると思うので。収穫逓減の法則ですね。でも鍵盤から離れてのメンタル・プラクティスはたくさんします。実際、この方法は私の練習の大半の時間を占めています。もちろん、作曲をすると決めて取り掛かる時間もありますよ。でも他にも生活の中で習慣になっているものもあります。例えばヨガ、気功、太極拳、それから瞑想もします。」

 

―内なる自分を見つめるんですね?

 

「そうですね、特に次から次へと準備しなければならないコンクールの最中だったり、飛行機を降りた直後に本番がある日には…。音楽家というのは大変な職業です。不快なものともうまく付き合わなければなりません。何日もよく眠れない日が続いたり、ホテルのベッドがあまり心地よくなかったとしても、ひとたび舞台に出ると、聴衆を別の世界へと連れていかなければならないので。」

 

―ニコラスさん、今日は興味深いお話をありがとうございました。